てつ永眠 享年17歳



2018年4月4日 河見農園のアイドル犬てつが天国に旅立ちました。

 

長くなりますが、少し自分の思い出とてつの思い出を振り返りたいと思います。

 

 私は小学生の頃、ジェイカという犬を飼っていました。小さい頃から一緒に寝たり、世話も毎日欠かさず、私の中では家族の一員で本当に可愛がっていました。

当然ジェイカは死ぬまで一緒に自分といるものだと信じて疑っていませんでしたが、

母の病気がきっかけで、ある日突然一緒に住めなくなりました。

父にジェイカを保健所に持っていくと言われた時は、涙で前で見えなくなり、どうしたらいいかもわからず途方に暮れて毎日泣いて暮らしました。

そんな時、一緒にジェイカを可愛がっていた姉が、ジェイカを飼ってくれる人を一緒に二人で探そう!!とそう提案してくれました。そうだ!!それならジェイカは保健所で殺されなくて済むんだ!!と思い、それから必死の飼い主探しが始まりました。

 

 学校から帰ったら、ジェイカを自転車のカゴに入れて、姉と一緒に見ず知らずの家を一軒一軒回って、インターホンを鳴らして、ジェイカを抱いて玄関先に入れてもらい、事情を説明して飼ってくれませんか?とお願いする。日が暮れて真っ暗になるまで、毎日毎日泣きながら探して回りました。当然そんなに簡単に見つかるはずもありません。返ってくるのは『ごめんなさいね…』の言葉ばっかり。それでも必死で探した結果、たった一軒だけ、『いいよ。飼ってあげるよ。』と言ってくれたおばさんがいました。私はその言葉が信じられなくて一瞬理解ができませんでした。そのままジェイカをそのおばさんに預けて、私たち姉妹はジェイカとお別れをしました。

 本当はその後もジェイカに会いたくてたまらなかったけど、それでもジェイカのことを考えたらそんな身勝手なことはしてはいけないと、それ以来ほとんど会いにもいかず、心に大きな穴をぽっかり開けたまま、私は必死にジェイカのいない日常に適応しました。

 

 そんな事があってから、動物好きの私でしたが、犬を飼ったり猫を飼ったりしたいなと思うことはあっても、結局一度も実行にうつすことはありませんでした。心に十字架を背負っていたからです。もし次に動物を飼うのであれば何があっても絶対に最後まで看取る。それができないのなら、飼う資格はないと思っていました。

 

 なので、てつは実は私が飼い始めた犬ではありませんでした。父が飼い始めたのです。その為私は小さい頃のてつはあまり知りません。しかしてつも歳を重ねるにつれできない事が増え、父がてつの面倒をみれなくなったので、私が老後を引き取ることにしたのです。ジェイカを最期まで看取ってあげられなかった分私が出来ることは、てつに全部してあげたいと思っていました。てつは畑の中で孤独に育ったので、友達がいませんでしたが、私が引き取ってからは、風太というお友達もできました。てつは風太と一緒に散歩をするのが大好きで、いつも尻尾を振っていました。

 しかし引き取ってから約1年半ごろ突然足腰が立たなくなり寝たきりになりました。これはもうとうとう最期なのかと私も必死でお世話をしました。実は私にはその時まだ7ヶ月になる娘もいたので、そのお世話とてつの介護で本当に寝る時間もありませんでした。最後の方は、私が離れると娘が泣くし、てつのそばから離れるとてつが泣くし、もうどうしたらいいのか、、、としんどくなることもありました。

 それでも最期が近いてつに寂しい思いだけはさせたくないと、時間の許す限りお世話をして、本当に最後、苦しみを取ってあげるための、点滴を病院でしてもらった次の日に安らかな顔で最期を迎えました。

 

 てつは本当に心優しい子でした。てつを表すにはそれしかないというくらい優しい子。それでいて、とても我慢強い子でした。私はてつが大好きでした。そしてジェイカも大好きでした。てつを精一杯大事にすることで、一緒にいてあげられなかったジェイカの最期を大事にしたつもりでした。どうかその想いが天国にいたジェイカにも届いていますように。

 

 願わくは天国でジェイカとてつが友達になっていてくれるといいなと思います。

 

てつとジェイカに出会えて本当に良かった。頼りない飼い主だったけど、二人の人生がいいものであったと思って旅立っていてくれたら嬉しいです。

 

 ありがとう。